前回、IMP・ACTのお話をしましたが、その前後から、京都にもいよいよ横文字の職業が増えてきました。プロデューサー、ディレクター、デザイナーetc.・・・東京から遅れること10年くらいではなかったでしょうか。
それに呼応して京都の企業もCI、VIなどに取り組むようになりました。そんな時期にOPENしたIMP・ACTを通じて僕もいろいろな方とお知り合いになることができました。IMP・ACTにはオシャレな人々が集まってきましたが、当時、街中には若者がオシャレをしても、食事にいくお店がありませんでした。西賀茂には「まんざら亭、TONARI」など隠家的なお店がありましたが、街中には赤提灯的な店か日本料理店のような、安いか高いかどちらかというお店が大半でした。そこでIMP・ACTを通して知り合った人たちで、あるプロジェクトが立ち上がりました。
スポンサーがついて、河原町車屋町を東に入ったビルの3階に『価格帯は赤提灯で、料理、空間、サービスは日本料理店のような若者の店』をつくろうということになったのです。店の名前はまんざら亭のオーナーが考えた「うふふ」に決定。オペレーション、運営方法などをみんなで寄って話し合う、本当にわくわくするプロジェクトでした。
僕は店舗デザインを依頼されて、客動線に沿った空間構成を考えました。エレベーターのドアが開くと露地があり、門の格子戸を開けるとレセプションまでのアプローチがあります。そこでスタッフがお客様をお迎えし、お席まで案内します。
中庭的なビッグテーブル席があり、それを中心に座敷席と離れのテーブル席となります。要するにビルのワンフロアに屋敷を一軒造り込んだわけです。プロジェクトには今や世界的に有名になった和紙作家の堀木エリ子氏にも離れのビッグ襖和紙で参加してもらっています。
当時の京都では、投資金を消去するのに長い時間を要しました。雑誌等に出すとピークが早くくるためわざと載せず、「口コミ」だけでOPENしました。しかし、若者の想いは当時皆同じで、このような店を切望していて、みるみる口コミは広がりました。
今50歳前後で、20〜30代を京都で過ごされた皆様は、一度はこのお店を訪れていただいたことがあると思います。今は死語となった、ボディコンのギャルたちが街を闊歩していた頃に、若者の社交の場となったこの店が、その後のオシャレ居酒屋の走りであったことに間違いはないと思います。
このようにビルの中に屋敷を造るデザインは大きな経験として、僕のその後の仕事にも何度もリピートされています。
杉木源三
書:深井和子