旅行雑誌などに紹介されている京都の街並に、京町家が写っていないものはない。というより、京町家がある街並が京都のイメージであると一般には思われているのであろう。「日本に、京都があってよかった。」という意識には、この街並が不可欠である。
今まで何軒かの町家を改造したお店の仕事を紹介してきました。その中には、和食もあれば、フレンチ、イタリアン、チャイニーズ、etc.、いろいろなジャンルのお店がある。その多くは外観を残し、内装を各ジャンルのお店に合うように改装している。言い換えれば、外側は京町家で、中は別物であり、昔から良く思われていない、映画のセットのような状態となっている。
しかし、京都の街並にとって悪いことでしょうか?放っておけば年々、京都らしい街並が減っていることは現実であります。保存については、以前にもお話ししましたが、歴史的、文化的、建築的に残さなければいけない、貴重な物件は確かにあります。それは行政なり、学会なり、アカデミックな側からのアプローチが必要です。しかし、民間レベルの古い町家、特に前述のような物件でないものは、いずれ取り壊される運命にあるものが大半です。
それを店舗等に改装して、町家の外観を残すことは大切なことだと思います。また、そのような行為に対して、行政より助成金がでても良いようなものです。町家再生に努力されているグループに、アメリカのファンドが支援を打ち出すといった、前向きな動きはでてきています。
今や観光を軽視することはできません。京都など特に、観光について考えなければならない都市です。といっても、以前も言いましたが、古い町に戻すことではなく、それは不可能なことなので、新旧のバランス、割合を調整することです。
たとえば近代建築の外壁について、素材を経年変化しても味わいのでるものを使用するとか、町家の進化形の建築物を増やしていくことにより、新旧の外観の割合をより良い街並へと調整していくとか、とにかく手をこまねいていないで、いまこの現実を基礎においてできることから始めることが急務です。一方で、京都に住む人々が景観に対する自覚と誇りを共通の意識に高める努力も必要です。
杉木源三