先日、東京へ行く機会があり、タイトルのEXHIBITIONを見に行った。そこには、私がデザイン界に足を踏み入れた頃へとタイムスリップさせる空気があった。
私が武蔵野美術大学を卒業して、京都へ帰ろうか、どうしようかと迷っていたときに、街で会った友人の紹介で、青山のCANという事務所でアシスタントとして働き始めた。そこは、今は亡き田中一光、粟辻博の両氏が顧問をされている事務所であった。
入った時はちょうど沖縄の海洋博で、田中一光さんがディレクターを務める「日本政府館」のプロジェクトの事務局をCANが担っていた。そのおかげで、いろいろなジャンルの事務所と交流があり、その中に倉俣史朗事務所、スーパーポテト、内田繁事務所などがあった。今になって思えば、すごい環境にいたのだと思うが、駆け出しの若僧にはそのすごさを知るよしもなかった。毎日の仕事にあくせくしていたのである。
でも恵まれていたのは、それぞれのクリエイターのEXHIBITIONや新店舗などのオープニングレセプションなどに参加することができたことである。倉俣さんのイッセイ・ミヤケのブティックのキャンティレバーのテーブルや、ガラスの椅子などはリアルタイムで体感することができました。
当然、売られている洋服などは、当時の給料では手の届くものではなかったことは言うまでもない。けれどその空間の緊張感やガラスの椅子という、既成概念を打ち破る発想などはおよびもつかず、私からは雲の上の存在であった。
スーパーポテトのバー・ラジオや、内田繁さんのバー・バルコンなどに事務所のボトルがキープしてあり、ポテトの下っ端同士で飲んでいると、倉俣さん、杉本さん、内田さんなど、そうそうたる面々が別のテーブルで飲んでいたりして、デザイン界の向かう先はバラ色に輝いている時代でした。
今回のEXHIBITIONを見て、その時代の空気感が蘇ってきました。倉俣さんが亡くなられた年齢を、私はもう越えていますが、今の私にとっても、まだまだ、はるか雲の上の人であることを再認識したひと時でした。
杉木源三